遠藤捨三の世界

こちらは、空き地の詩人・遠藤捨三の愛好家(好事家)のための会員制ブログです。

哲学とは何か。

 哲学とはなんでしょうか。「経営哲学」とか「あの人は哲学を持っている」といった使い方の場合は、単に括弧とした自分の考えやビジョンを指しています。学問の世界では、古代から現代の「哲学者」の著作の批評を哲学と言っています。自分の考えはむしろ排除して批評しなければなりません。おかしな話しですが、「それは君の考えだろう」という批判を受けます。


 私は文学部の哲学科でしたが、自分の哲学は考えさせてもらえませんでした。私は大学生当時、とにかく自分の考え、価値観を構築したかったので、やけくそになって卒論でプラトンの『ティマイオス』というムー大陸の著述の出てくる宇宙論的な著作にこじつけて自分の哲学を展開し、教授に「君は大詩人か何かか」と呆れられる結果となりました。


 当時はポストモダンニューアカデミズムの時代で、柄谷行人浅田彰が大流行していました。彼らの文体はこうです。

「〇〇は著書『△△』において〜〜と述べている。」

「つまり〇〇は□□に関してこのように述べているのである。」

「それはあたかも◎◎であり、◆◆ということなのである。」

客観的に論理を積み重ねていくような論調で、それは大学の授業で求められる答えや論文も同様でした。柄谷行人浅田彰は哲学者でしょうか。彼らの著作での紹介文は「哲学者」ではなく、「批評家」という肩書きだったと記憶しています。


 では哲学者と批評家の差はなにか。

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