遠藤捨三の世界

こちらは、空き地の詩人・遠藤捨三の愛好家(好事家)のための会員制ブログです。

欺瞞や迷妄によって混乱した社会を言語化する試み。

 私はこのブログで、日常の中で遭遇する、得体の知れないストレスや、意味の分からない行動をする不快な輩、理不尽な状況、環境などを多面的に解釈しています。これは自分が健全に生きていく上で、とても重要かつ日常的な作業であり、生活のドキュメントであるとも言えます。また、次世代の方々にとっては、全時代の貴重な資料となり得ることを願っています。

 


 例えば、1989年に「ハラスメント」という言葉がメディアに登場し、刑事事件まで及ばない悪質行為に名前がつきました。名前がついたことで、「相手の嫌がることをする」という曖昧な行為が明確に糾弾出来るようになりました。セクシャルハラスメントから始まり、モラハラモラルハラスメント)、ヌーハラ(ヌードルハラスメント、麺をすする音で不快感を与える)、見るハラ(ジロジロ見られることが不快)、などと派生しています。

 

 

 「ストーカー行為」もそうです。ストーカーという言葉がなかった時代には、好きな人を待ったりアプローチすることの概念はもっと曖昧で、問題のあるケースとそうでない場合の線引きも曖昧でした。近年では、集団圧という言葉が普及し、ずいぶんとコミュニティー内、あの得体の知れない圧迫感や、気まずさの解釈が進んだと思います。あの人はマウントを取っているのだとか、派閥から圧がかかっているのだと、状況が理解しやすくなるのです。

 

 

 また、昔は狐憑きなどと忌み嫌われていた精神疾患も、今では「統合失調症を患って心療内科に通院している状況」と、過剰反応することなく、理解を共有することが出来ます。「自己肯定感」という言葉も普及しましたね。今やメンタルヘルスにおいて重要なキーワードです。マズローの提示した「認知欲求」という概念を補足するような言葉で、その普及によって心理学は新たなステージに移行し、一般の方にとってより身近になったと思います。

 

 

 言語には、状況や現象を切り取って定義する力があります。雨風が吹き荒れる状況も、「山の神の怒り」と「台風」では対応が変わってくるでしょう。言葉の変化は概念の変化であって、認識の変化に繋がります。同じ状況でも認識が変化していくことで理解が深まり、対応がしやすくなっていきます。

 

 

 世の中にはまだまだ理解の及ばないことがたくさんあります。ドナルド・トランプ氏が「ディープステイト」(闇の政府)という言葉を使いました。それはそういった組織が存在するのではなく、おそらく、日本の政治界における「原発村」のような意味合いでしょう。つまりそれは、「原発村」という村が地理的に存在するのではなく、原発利権にあやかっている人間の、「利益享受者同士の強固な繋がり」が存在することを示しているのではないかということです。表向きの政府と別に「闇の政府」が存在するということではなく、政府内もしくは政府に対する影響力を持った「利益享受者の強固な繋がり」あり、それが政治をコントロールしているという状況を、「ディープステイト」という言葉で表現したのではないでしょうか。実際に有力者同士の定期的な会合というのは数多くあるようですが、ディープステイトという組織が存在するわけではないと思います。それは原発村も同じです。原発村という村は存在しませんが、原発利権の享受者同士の密接な繋がりは確実にあり、それは社会に多大な影響力を持っています。トランプ氏の「ディープステイト発言」を、都市伝説的な陰謀論と受け取って軽く見ている人も多くいるようですが、もう少し慎重に考えて頂きたいです。

 

 

 状況に名前をつけて言語化していくことは大切なことです。数学で言えば公式のようなもので、一度公式化してしまえば、一から計算しなくても、公式に数値を代入すれば済むようになるわけです。高度な計算が効率よく出来るようになります。より深い解釈が効率よく出来るようになるということです。

 

 

 「言語化」という言葉自体も、状況や現象を定義し、新たに言葉を生み出すという行為を表現した、比較的新しい概念です。私はこの「言語化」という仕事を生涯続けたいと思っています。それは私個人が日常をより楽に過ごせるようにするための作業でもあり、次世代を担う人々に新しい言語、新しい公式を提示していく社会的作業でもあります。若い世代の皆さんが、私たち古い世代と同じことで苦労をしないように、もっと先の新たな問題に集中するための足掛かりになったらよいと思っております。

 

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