遠藤捨三の世界

こちらは、空き地の詩人・遠藤捨三の愛好家(好事家)のためのブログです。

常備菜の愉しみ。

 自然が好きで、野草を採って天ぷらにしたり、サラダやおひたしにして酒のつまみにしていました。同時に、食費の軽減につながらないかと、残り野菜を使ったレシピを考えたりしていました。

 私の中の縛りとして、あるものだけで作るというルールがあります。よほどのことがない限り、食材を買いに行きません笑 カレーを作るために、肉がなければチーズやシーチキン、豆類を使います。「家庭内サバイバル」と称してゲーム感覚でやっております。

 週に一度、私の食事当番の日があります。ナポリタン、オムライス、チャーハン、スパイスカレー、等等、だいたいワンプレートでレパートリーも少なかったのですが、テレビの自給自足家族の番組で、納豆、キムチ、食べるラー油、など食卓に並んだおかずを各自でとってご飯にのせて美味しそうに食べているのを観てハッと気づきました。今まで酒のツマミとして作っていたものを「常備菜」として作り置きすればいいのだと。

 日本の主食は米です。メインディッシュである米をたくさん食べるために塩の効いた漬物や汁物を添える、これが一汁一菜の基本です。ご飯を炊き、味噌汁を作り、いくつかの常備菜とともに並べれば、豊かな食卓の出来上がり。また、妻も自分の料理に合わせて、私の作り置いた常備菜を出してくれるようになりました。ろくに家事もやりませんが、役立っているような気分になって嬉しいです。現在、定番となっているのは、玉ねぎとにんにくのマリネ(あればトマトと茄子も)、もやしのナムル、葉物野菜のおひたしなど。今日も晩酌のツマミがてら、残り野菜で常備菜を仕込もうと思っています。

 

介護、必要ですか⁇

 高齢社会の到来により、ビジネスチャンスとして介護施設が作られ、介護保険料が徴収される世の中になりました。事故や脳梗塞等、先天的にハンディキャップを負った方は介護が不可欠でしょう。しかし、戦前、戦後復興、高度成長期、、後遺症もない健常者で介護を受けて生きていた人はどのくらいいたのでしょうか。

 人間は死に際して、「脳内モルヒネ」が分泌され、苦痛を感じることなく死ねるように出来ているそうです。「食が細る」というのも、いたずらにエネルギー補給をして苦痛な時期が長くならないように出来ているようです。スウェーデンなど延命治療を「虐待」と定義している国もあります。

 犬や猫であっても、可能な限り生きていて欲しいと望むものですが、私は愛猫の延命も自分たちのエゴであって、猫のつらい時間が長くなるだけだという思いから諦め、残された時間を大切にする選択をしました。

 私は健康診断さえ受けていませんが、末期ガンになったり何かあった際は、寿命を受け入れる覚悟を決めたいと思っています。いつ死に際しても怖いものは怖いと思います。寂しさや悔いがなくなることはないでしょう。

 言ってしまえば老人ホームもデイケアも延命治療も介護保険も、「ビジネス」でしかありません。苦痛のない、自然な幕の下ろし方を考えると、介護も延命治療も受けず、精一杯労働して力尽きるのが一番ではないか思います。

 介護保険、ガン保険、老後のための貯蓄、健康診断、、本当に必要ですかね。私は死ぬのは怖いですが、逃れようのないことを先延ばしにするために経済的負担をするような、無意味な苦労をしたくありません。面倒くさいです。

滋味は地味なものである。

 バラエティー番組を筆頭に、テレビの地上波放送を観ることはほとんどなくなりました。歳を重ねたせいもありますし、近年常態化した「ひな壇芸人」「テロップ」など、主張が激し過ぎて草臥れてしまいます。

 70年代〜80年代、高度成長期の時代は子どもに夢を与え、家族で楽しめるような温かいドラマやお笑いが多くありました。経済が悪化し、物が売れづらくなくなったこともあると思いますが、商品とタイアップアニメやドラマ、商品ありきの作品が作られるようになったと思います。

 各社、各メディアのアピール合戦がエスカレートすれば、受け手の側は感化されていきます。「超」「ヤバい」「激」「鬼」「神」、と表現は強勢ばかり目立ちます。食の世界も、激辛から始まり、背脂や鰹の粉末を加えたラーメンなど、強く濃いものが人気です。

 鰹の出汁は一般的ですが、出汁の中ではかなり強く、素材の味が鰹の風味に負けてしまうことがあるため、和食の世界では敢えて鮪の出汁を使ってメインの素材を引き立てこともあります。

 滋味、体に滋養が五臓六腑に染み渡るような旨味は、刺激の強いものではありません。滋味をより多く摂取するために、食欲を増進するスパイスが珍重されました。つまり、スパイスそのものより、スパイスを加えるもの、素材が大事なのです。栄養のないものを多く摂取することは、肥満、糖尿病、高血圧など多くの病気の原因となります。

 話しを戻しますが、宣伝PRは必要ですが、大事なのはその中身だということです。過激な表現や過剰な主張は内容を損ないかねません。中身が自己顕示欲だけしかないのは論外です。

 どの分野にも、先人が築き上げた伝統や、体系化された「基礎」があります。現在は過剰な刺激に感化された、素地のない人が、切り口勝負でマーケットに参入してくることが増えた気がしています。私は手間暇をかけ、長い年月研鑽をした、誠実な仕事をする人が好きです。必ずしもコンサバティブ、伝統的ということでもありませんが、基本に忠実にオーソドックスに作り上げたものを絶妙に崩して息を吹き込むことは、手練れの職人でなければ出来ないと思います。緊張感のある仕事にはとても良い刺激を受けます。

関わってはいけない男、とか言う女。

「関わってはいけない男、バンドマン・整体師・カレーをスパイスから作る男」、というのをラジオドラマでやっていました。私はバンドマンで整体師でカレーをスパイスから作る男なので一瞬腹が立ちましたが、こだわりの強い男とは関わりたくない、というのは裏を返すと、自分を最優先でいて欲しい、お金を稼いで養って欲しい、という利己的で依存心の強い可哀想な女の戯言なんですよね。私の妻は私を支え、私のやることを楽しんでくれます。「私の願いを全部叶えてくれる」と言われた際は最高に嬉しかったです。関わりたくないってこっちのセリフですよ。アンタみたいな女とは結婚しねーから。

 はたまた、結婚したい男性の職業として「マッサージ師・料理人・パティシエ」というのも見たことがあります。私は嗜みがあるので、妻のマッサージはよくしますが、アンタのマッサージは絶対しねーから。揉んでもらえるから、美味しいもの作ってもらえるからと職業で男を選ぶような女にはなにひとつくれてやりません。一生3K(高身長・高学歴・高所得)とか言ってろ。アンタのための福祉じゃないんだおれたちの人生は。

 「関わってはいけない男3C、クリエイター・カメラマン・カレーをスパイスから作る男」というのを知った、全当てはまりの友人が憤っていました。でもよく考えてみて下さい。そもそも肩書きや条件で人様を判断するようなバカ女とはこちらも関わりたくないのでお互いWin-Winですよね!ちなみに「ウィンウィンですよね!!」とか言ってくるキャリアウーマンかぶれのバカ女も嫌いです。

 ばかどもよく聞け!!人間っていうのはな、自分で自分のケツ拭いた上で人様を思いやるもんだ!!思いやりとか誠意の向こうに信頼があって、そっから恋したり愛し合ったりするんだ!!

お騒がせしました、。

ドロップアウトのススメ。

 世の中の常識や風潮、集団圧に違和感を覚え、うまく世間と折り合いがつきませんでした。結果として、自分自身に本当に必要な価値を探し求め、開拓していかざるを得なかったと思います。こう説明するとネガティブに聞こえそうですが、そもそも探求や開拓に楽しさや喜びを感じる人間であるのに、一般サラリーマンに馴染もうと努力していたことの方が間違いであったと思います。

 絶妙な立地に中古の安物件を現金購入することが出来、家賃負担が無くなったため、お金の悩みもなくなりました。経団連調べの平均年収や世間の「常識」から離れて、私が理想に考えていた、本当に必要な労働をし、好きなバンド活動をしていくという生活が完成しました。友人を招いてのホームパーティーもとても幸せを感じます。

 自慢をしたいわけではありません。失われた30年といわれた不況から近年の物価高、給料は上がらず、自営業も立ちいかない、私もとても苦しい時期がありました。就職氷河期世代ということもあり、生きづらさを感じている方に、こんな生活もあるよということを紹介、シェアしたいのです。実際、家賃や住宅ローンの負担を除けば、節約を始めとする私の生活の工夫は誰でも真似できるものです。畑もベランダ菜園程度のスペースですし、大きいプランターを使えばレモンや柿の木は十分育てられます。シソや唐辛子はもっと簡単でしょう。

 スマートフォンをSIMフリーにしたり、BSアンテナを自分で取り付けたり、業者に頼むようなことはすべて自分でやります。現在はYouTubeなどで修理の動画がたくさんありますから、特別な知識は必要ありません。あとはフリーマーケットサイトで中古や型落ち品を買ったり売ったりですかね。必ずしも最新でなくて充分です。あと、賃貸に住んでいた頃は、騒音の悩みがあって、完璧とまではいきませんが、地道に防音材を購入して少しづつ和らげるていました。現在はその防音材を使って、押入れを防音ブースに改装してあります。お金をかけずに快適に生きる術です。

 詳細は他の投稿をご覧になって下さい。会社勤めのかたわらに、どれかひとつでもかまいません。参考になれば幸いです。やはりみんながハッピーになって欲しい。ハッピーな人が増えれば世の中がハッピーになると思うのです。あなたが幸せになるのもひとつの社会貢献だということです。ぜひ幸せになって下さい。

#ドロップアウト #価値の創造

『全員集合』と私。

 アマチュア、インディーズでシンプルなロックンロールバンドをやっています。53歳、人生も後半戦に入り、私が目指しているのは、『8時だョ!全員集合』、昭和のお茶の間を席巻した、ザ・ドリフターズです。インターネットの無かった昭和の時代、私の幼少期、昭和50年代、誰もがテレビを観て、みんながドリフを観ていました。月曜日の朝ともなれば、顔を合わすなり一昨日の『全員集合』を「観た⁇」の会話から始まっていました。ドリフターズはもともと、米軍キャンプで慣らしたロカビリーバンドでした。演奏の合間に、出来る限り会場を盛り上げようと、ジョークや寸劇のようなものをやっていたことから、コメディアンとして抜擢されたそうです。

 『8時だョ!全員集合』は、1969年から1985年までの16年間、毎週土曜日にTBS系列で放送された、最高視聴率50.5%を記録したモンスター番組です。休止期間はあったものの、16年間、週一でライブ(生放送コント)をやり続けたわけですから想像を絶するタフネスです。『全員集合』の脚本家は皆、急性胃炎になったといいます。

 今では高木ブーバンドのギタリストとして活動していますが、大学の後輩が熱心なドリフファンで、『ドリフ大爆笑』の公開収録の観覧に当選し、サークルの仲間で観に行ったことがあります。志村さん、加藤さんはもちろん面白いのですが、周りの状況、次の展開を見越して巧みにステージを取り仕切る長さんが本当に見事で感銘を受けました。周囲への気配りとエンターテイナーとしての責任感、気概を強く感じる、とても素敵な笑顔をされていました。

 今でもステージの度に、長さんのあの見事なステージングを思い出します。日々の生活を楽しく、豊かに彩ってくれたザ・ドリフターズには感謝の念が尽きません。ドリフはロカビリー、私たちはロックンロール・パンクとジャンルは違いますが、バンドマンとして、ドリフのように多くの人を楽しい、幸せな気持ちに出来るよう、ライブ活動を頑張っていきたいと思っています。

 

「世間」とは何か。

 みなさん、「世間」ってなんでしょう。「世間体が悪い」とか「世間様に申し訳が立たない」という言葉があります。良くも悪くも、日本人はとくに「世間の目」を気にする国民性があるようです。

 世間の皆様のために、世間様に恥ずかしくないようにと、物事を研鑽するのは素晴らしいことだと思います。日本人の技術力やサムライ魂はそういうところから生まれている気がします。

 一転、「よらば大樹」「親方日の丸」と言ったご都合主義も存在します。力の強い者や声高の者に簡単に迎合してしまうことです。

 昨今も政治の腐敗、独裁、先行きが不安になることがたくさんありますが、最もやっかいなのは、「世間」だと思っています。それは、フランスの社会心理学者ギュスターヴ・ル・ボンが「群衆心理」として定義した、人間の本能的行動のことです。

 ひとりふたりで外出しているときより、5人10人のグループで外出しているときの方が、気が大きくなりますね。声が大きくなったり、人とぶつかっても気にならなくなったりします。人間には、集団になると人が変わってしまう、暴力的、強権的になってしまう習性があります。

 戦時下の憲兵や婦人会、あるいは自警団や赤軍、近年ではコロナ禍での「マスク警察」がいい例です。集団は力であり、暴力化する恐れがあります。「世間」も集団のひとつです。良い時もあるかもしれません。復興や開拓、創造的な時は独りでやるより集団の方が良いでしょう。

 私が一番嫌いな言葉は「勝てば官軍」です。力が強ければ正しいのだ、数が多ければ正しいのだ、というのは、みんながやってるからいいんだ、ということに繋がりかねません。もっとエスカレートすると、みんながやってるのになぜおまえはやらないんだ、という集団圧が生まれます。

 一言でいうと「世間」とは、いわゆる思考停止の、「何が正しいことか自分で判断することの出来ない人たちの群衆」ということになるでしょう。群衆になると個人個人は匿名性を帯び、個の責任感や羞恥心はなくなります。思考停止でも一人一人は人畜無害かもしれません。しかし、物事に疑問を抱かずに鵜呑みにしてしまう人たちは権力やマスメディアによる洗脳にひどく弱く、すぐに感化されてしまいます。そうして群衆として暴力的なパワーを持ってしまうと、権力者、支配者以上に厄介です。

 政府がSNS規制等の情報操作や、憲法9条の改正に動いている昨今ですが、いざ戦争、徴兵ともなれば「世間」という群衆は、コロナ禍同様にトイレットペーパーを買い漁った挙句、戦争に反対する人を糾弾し始めるでしょう。

 あなたが有名人や有力者であれば、影響力を用いていい方向に導くことも可能かもしれません。しかし、私を含め、無名の一般人は「世間」とは付かず離れず、距離を置いて付き合った方がいいように思います。