遠藤捨三の世界

こちらは、空き地の詩人・遠藤捨三の愛好家(好事家)のための会員制ブログです。

欺瞞や迷妄によって混乱した社会を言語化する試み。

 私はこのブログで、日常の中で遭遇する、得体の知れないストレスや、意味の分からない行動をする不快な輩、理不尽な状況、環境などを多面的に解釈しています。これは自分が健全に生きていく上で、とても重要かつ日常的な作業であり、生活のドキュメントであるとも言えます。また、次世代の方々にとっては、全時代の貴重な資料となり得ることを願っています。

 


 例えば、1989年に「ハラスメント」という言葉がメディアに登場し、刑事事件まで及ばない悪質行為に名前がつきました。名前がついたことで、「相手の嫌がることをする」という曖昧な行為が明確に糾弾出来るようになりました。セクシャルハラスメントから始まり、モラハラモラルハラスメント)、ヌーハラ(ヌードルハラスメント、麺をすする音で不快感を与える)、見るハラ(ジロジロ見られることが不快)、などと派生しています。

 

 

 「ストーカー行為」もそうです。ストーカーという言葉がなかった時代には、好きな人を待ったりアプローチすることの概念はもっと曖昧で、問題のあるケースとそうでない場合の線引きも曖昧でした。近年では、集団圧という言葉が普及し、ずいぶんとコミュニティー内、あの得体の知れない圧迫感や、気まずさの解釈が進んだと思います。あの人はマウントを取っているのだとか、派閥から圧がかかっているのだと、状況が理解しやすくなるのです。

 

 

 また、昔は狐憑きなどと忌み嫌われていた精神疾患も、今では「統合失調症を患って心療内科に通院している状況」と、過剰反応することなく、理解を共有することが出来ます。「自己肯定感」という言葉も普及しましたね。今やメンタルヘルスにおいて重要なキーワードです。マズローの提示した「認知欲求」という概念を補足するような言葉で、その普及によって心理学は新たなステージに移行し、一般の方にとってより身近になったと思います。

 

 

 言語には、状況や現象を切り取って定義する力があります。雨風が吹き荒れる状況も、「山の神の怒り」と「台風」では対応が変わってくるでしょう。言葉の変化は概念の変化であって、認識の変化に繋がります。同じ状況でも認識が変化していくことで理解が深まり、対応がしやすくなっていきます。

 

 

 世の中にはまだまだ理解の及ばないことがたくさんあります。ドナルド・トランプ氏が「ディープステイト」(闇の政府)という言葉を使いました。それはそういった組織が存在するのではなく、おそらく、日本の政治界における「原発村」のような意味合いでしょう。つまりそれは、「原発村」という村が地理的に存在するのではなく、原発利権にあやかっている人間の、「利益享受者同士の強固な繋がり」が存在することを示しているのではないかということです。表向きの政府と別に「闇の政府」が存在するということではなく、政府内もしくは政府に対する影響力を持った「利益享受者の強固な繋がり」あり、それが政治をコントロールしているという状況を、「ディープステイト」という言葉で表現したのではないでしょうか。実際に有力者同士の定期的な会合というのは数多くあるようですが、ディープステイトという組織が存在するわけではないと思います。それは原発村も同じです。原発村という村は存在しませんが、原発利権の享受者同士の密接な繋がりは確実にあり、それは社会に多大な影響力を持っています。トランプ氏の「ディープステイト発言」を、都市伝説的な陰謀論と受け取って軽く見ている人も多くいるようですが、もう少し慎重に考えて頂きたいです。

 

 

 状況に名前をつけて言語化していくことは大切なことです。数学で言えば公式のようなもので、一度公式化してしまえば、一から計算しなくても、公式に数値を代入すれば済むようになるわけです。高度な計算が効率よく出来るようになります。より深い解釈が効率よく出来るようになるということです。

 

 

 「言語化」という言葉自体も、状況や現象を定義し、新たに言葉を生み出すという行為を表現した、比較的新しい概念です。私はこの「言語化」という仕事を生涯続けたいと思っています。それは私個人が日常をより楽に過ごせるようにするための作業でもあり、次世代を担う人々に新しい言語、新しい公式を提示していく社会的作業でもあります。若い世代の皆さんが、私たち古い世代と同じことで苦労をしないように、もっと先の新たな問題に集中するための足掛かりになったらよいと思っております。

 

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「食べること」と「労働」の乖離。

 どうやって食べていくか、何を生業として生きていくのか、悩んだり迷ったりして来た方も多いと思います。貨幣経済は、労働と、食料、衣類など商品を、お金を通して等価交換することで成り立っています。また、資本主義は、資本家が労働者を雇用し、労働の評価をして給与を支払う形態です。労働者個人がいくら頑張って、長時間働こうと、会社の利益率が上がらなければ、給料は上がりません。また、雇用者、あるいは直属の上司が評価しなければ労働価値は上がりません。その上、搾取というものがあり、下請け、孫請けの仕事となると、中間マージンの中抜きというのもあって、なかなか末端の労働者までは利益は還元されません。

 

 

 自給自足で農業を営む人たちは、口を揃えて「生きてる実感がある。」といいます。人間とて動物ですから、労働とは何かを紐解いていくと、食を得るための行為、つまり生きる、ということに行き着くと思います。野草や木の実の採取にせよ、狩猟にせよ、農耕にせよ、生き物として、食料を得るために労働するということは最も純粋な在り方だと思います。生きることとが食料を得て食べることであるとすれば、食べるための労働こそが生きることだと言うことが出来ます。ところが、食べることと労働の間に、「貨幣」という仕組みが介在することになると、とたんに様相が変わってしまいます。

 

 

 「等価交換」と言っても、人や時代によって価値が変わってしまうことが貨幣経済のややこしいところだと思います。物価はもとより、貨幣価値も不動産価値も常に変動します。そういった貨幣経済の特徴を利用し、投機や投資といった、金で金を儲けるようなことも可能です。大規模なマネーゲームを行って巨額の富を動かす人々もいます。「秒速で億を稼ぐ男」というキャッチフレーズの起業家がいましたが、なんのことはありません、ご本人も疲弊してやめてしまったようですが、為替のデイトレーダーでした。

 

 

 どうやら私たち人間は、食と労働が密接な方が、あるいはイコールな方が、生きている実感や充実感を得られるようです。逆に、現代社会のように、食べることと労働が大きく乖離すると、生きる意味や働く意義を実感出来なくなり、ストレスを感じるようです。朝から晩まで会社で働き、コンビニ弁当を食べて給料日を待つような生活は、生き物として健全には思えませんよね。活力が失われていって当然でしょう。

 

 

 狩猟や農耕に代わる、文化的な「生きがい」というものもあります。それらは食料を得ることと同じように、脳の報酬系を刺激し、満足感や充足感を与えてくれます。フロイト心理学では、何かに没頭するような衝動を、「思春期の性衝動の残存」と説明していますが、「生きがい」は、性や食という、自己、あるいは種の保存本能に起因する衝動の、昇華を担っているのです。

 

 

 結論をいうと、食べることで生きる私たち人間が、

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技術革新と怠惰な日々。

 プロメテウスが人間に火を与えてから久しい(笑)ですが(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A6%E3%82%B9)、人間は道具の使用とともに進化して来ました。火を使って肉食や煮炊きを可能にし、記号を用いて複雑なコミュニケーションや論理の構築をし、科学や物理学を発見、それを用いて建築、上下水道、航海術、蒸気機関など創造して行きました。貨幣の発明、農耕や貿易の技術革新と、経済は活性化し、生活水準は向上しました。現代は、誰もがスマートフォンを持ち、車は一家に一台はもとより、一人一台、という時代です。


 便利な世の中になったと思います。私個人の生活だけ振り返っても、待ち合わせのすれ違いに、昔は駅の伝言板を使っていましたが、今はスマートフォンがあれば詳細に約束をしなくても大丈夫になりました。友達はSNSで常に繋がり、海外にいる友人さえコミュニケーションが途絶えることはありません。


 我々の祖父母の世代、戦中派世代までは、炊飯器も洗濯機もありませんでした。火をおこし、薪を焚べて米を炊き、井戸水で洗濯板でこすって洗濯です。近年は、掃除機はおろかロボット掃除機まで出てきました。炊飯も洗濯も掃除も自動になった時代で、専業主婦が忙しい忙しいと言うのはなぜでしょう。ワイドショーのゴシップでネット上で盛り上がっている人の中に専業主婦もいらっしゃると思います。気持ちが忙しいのは心が貧しいからではないかと思ってしまいます。


 最も私が懸念しているのは車事情です。以前は通勤や営業、あるいはレクリエーションの道具として自家用車は使われていたと思います。家族旅行はもちろん、車で友人や彼女と出かけるときなどはカセットテープに音楽を録音して準備をしたり、わくわく華やかな気持ちになったものです。


 夢だったマイカーも、現在は高齢者による事故が多発する事態となっています。主婦と高齢者ドライバーが急増し、町の車の往来は引っ切りなしです。最寄りのスーパーやコンビニも車ですからね。かつて私たちをわくわくときめかせてくれた自動車が、いまや買い物用のカートや雨具のような存在になってしまったことを残念に思います。それはただの便利用品、楽をするためだけのものであって、人の心を豊かに、華やかにするものではありません。安全性や燃費効率などの機能ばかり優先した結果、現行車は外観まで魅力を失ってしまったように思えます。


 環境問題が取り沙汰されて半世紀経ちます。壊れつつあるのは自然環境だけでしょうか。こっちの方が便利なのだから使って当然、という態度にそろそろ疑問を感じてもいいのではないかと思います。車を始め、バイク、モデルガン等、趣味が多いことで有名なタレントの所ジョージさんは、番組の中で以前から「面倒くさいことか幸せなんだ。」とおっしゃっています。真理を突いた哲学的な言葉だと思います。料理研究家だった故土井勝先生の「愛情のこもっていない料理は餌である。」という言葉も同じような意味でしょう。便利さや楽をすることばかり追い求めると、手間暇をかける、愛情をかける余白がなくなります。


 昭和の地主の方たちは、私有地を「空き地」として子どもたちの遊び場に開放してくれていました。今は土地という土地は駐車場や賃貸アパート経営に回して小金を稼ぐ時代です。また、ドライバーは「道路は遊び場じゃない。」と子どもを戒め、自分たちは50m先のスーパー、コンビニ、あるいは、小学生が歩いて通える学区内の小学校まで車で行き来しています。なんだか情けなくなりませんか。子どもより大人が優先では、まるでマウンティングです。人間として恥ずかしいと思います。


 便利な世の中になったはずなのに、道を譲れない人や、人の間をすり抜けていくような人が逆に増えた気がするのはなぜでしょう。コロナ禍ではマスクやトイレットペーパーの買い占めが問題になりました。どうしてこうまで利己的になってしまったのかと首を傾げることが多いです。昔よりも便利で余裕が出来たはずなのですが。。


 所さんはまた「楽をしたいと言って、寝たきりで栄養も管で入れればいいわけだけれど、それで幸福ですかという話し…。」ともおっしゃっています。極端な言い方かもしれませんが、ロボット掃除機が普及し、自家用車の自動運転機能が取り沙汰される時代というのは、もはや

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長いお別れ。

 吐き出すために書くにも長くなりそうなので、こちらに書かせて下さい。読むに値する文章には体裁を繕いたいと思います。

 


 昨日、本業の整骨院の患者さん、私の二つ下で、古巣からずっと指名で通ってくれてた、まあ、10年来の友達ですが、亡くなりました。膵臓癌だったそうです。三日前に、奥さんが代わりに投稿した誕生日のSNSで知って、次の日にお見舞いに行きました。めっちゃくちゃうれしい、とか言ってもらって、こっちが救われました。すいません、隠してて、、家族にも言わなかったんすよって言うから、かっこいいじゃん、ってぽんぽんしたら、へへへって笑ってました。

 

 

 

 患者さん、って言っても、週一とか、調子悪いときは週三日とかで顔を合わせるわけですからね、彼は30分、40分のコース、当たり前ですが一対一のコミュニケーションですから、プライベートの友達より長い時間過ごしてるかもしれません。12年くらいの付き合いになります。根がクソ真面目でストイックなのと、くだらない冗談ばかり言って憎たらしいところがお互いよく似てて、気が合いました。ガタイがよくてマッサージがたいへんなので、スタッフがたらい回しにするのを見かねて、私が担当することにしました。おまえ帰れって言ったらホントに帰っちゃうんすよ、という会社の若いこの愚痴から、ベイスターズサッカー日本代表の話し、子どもや少年野球団の話し、縄跳びいいんすよとかトレーニングの話し、ハイエース買ってすげえいいんすよ、とかたくさんの話しをしました。

 

 

 

 誰もがいつか死んでいくのですし、誰もが家族や友人を失っていくのですが、やっぱりやり切れませんね。これから先は、これを読んでくださっているみなさんに、ただ自分が抱え切れないだけでなく、何か役に立つように書きたいと思います。

 

 

 

 悲しくていいんだと思いました。受け止め切れそうに有りませんが、現実を受け止めることが大事なのではないかと。。実際、受け止め切れませんが、受け止めようとすることが大事なのではないかと思います。悲しくて寂しくていいんだと思いました。泣いてはだめだとも、本人の前で悲しい顔をしてはだめだとも思いません。いろんなこと思い出して、ありがとねって感謝をして、そのままでいいんだと思います。ありがとねって気持ちは自然に出てくるので、感謝しなきゃいけないとか、気の利いた言葉をかけなくてはとかそういうこともなく、ただあるがままで、ただ会いに行って、それでよかったんだと思います。

 

 

 

 49歳。早いとは思いますが、80歳だろうが100歳だろうが最期はやっぱり寂しいでしょう。必ず終わりはやって来ます。それがいくつでもみんな同じ。今回、私は、彼はこの世という学舎を、晴れて卒業したのだと思うことにしました。学びを終えて先に卒業しただけ。そのうち私も、出来が悪くて遅れてはいますがいつか卒業して、未知のステージに合流することでしょう。近年、量子物理学の世界では、パラレルワールドが存在するとか、目に見えないブラックマターの方が実は重量が多いのだとか、ブラックホールの淵に世界すべてが二限情報として存在するとか、様々な神秘的としか思えないことが証明されて来ています。生きている私たちには、この現実以外のことはなにも分かりません。しかし、どうやら私たちの想像を超えた形で、なにかが存在し続けるようですし、私たちにとっての想いとか感動、モラル、志しというものも決して無駄でも無意味でもなく、存在し、影響し合っていくように思います。世界がひとつなのか、なぜ無からこんなに多様な世界が生まれるのか私には全く分かりません。死んだら体験出来るのでしょうか。意識とか自我はどこまであるのでしょうか。私たちはみんな、意識も自我もないまま生まれたのかな。忘れてしまいましたね。

ということで、橋本さん、お疲れ様でした。楽しい時間たくさんありがとうね。また。

人生100年、精神が持たない。

 生きるにはロマンが必要です。夢、希望と言ってもよいと思いますが、やはりロマンです。ぼやぼやとした憧れのスタイル。女性のことはよく分かりませんが、男はたいてい30超えたくらいで、手に入れた入れないは別として、第一のロマンが終わりを迎えます。ひと段落つくのです。人間というのは贅沢なもので、たとえオリンピックで金メダルを取ったとしても、その充足感はいつまで続きません。次の挑戦、次のロマンが必要なのです。怪物と言われた競泳のマイケル・フェルプスは、オリンピックが終わる度に酷い鬱状態に陥ったといいます。

 


 戦国時代であれば、30歳でもう隠居ですから、ひとつのロマンを追いかけて一生を終えることが出来たと思います。現代は人生100年時代、寿命は戦国時代の3倍超になりました。それも老いてからが長いわけですから、プロスポーツ選手になるとかアイドルになりたいなどの若者が見る夢は選択肢から外れていくわけです。パイロットもキャビンアテンダントも無理でしょう。年齢制限もありますから、ほとんどの夢が見れなくなるでしょう。

 


 プロスポーツ選手などは引退が早く、セカンドキャリアを必要とする職業です。現役引退後指導者として食べていける人はいいですが、営業職など、全く異なる業種に就く人も多いようです。プロ野球の花形プレーヤーだった清原和博さんは、引退後薬物に溺れてしまいました。野球をプレーすることがすべてであったであろう清原さんが、プロとして野球を出来なくなったあと、野球に代わるほどの夢、ロマンを見つけることは困難だったに違いありません。

 


 私はバンドマンで、30歳になる手前に、ラストチャンスだと、プロになる意志のないメンバーとのバンドを辞め、仕事を辞めて半年ほど独りデモテープ作りに専念しました。そして作り上げたデモを、目に付いたオーディションや音楽事務所に送って2ヶ月ほど経った頃、つまり、やっぱりダメだったんだなと確信し始めた頃に、燃え尽き症候群のような状態で鬱に陥りました。

 


 夢や希望というのは主観的なもの、こればかりは自分自身で見つけなくてはなりません。抗鬱剤を飲みながら、いろいろと考えました。言ってみれば私にとってのセカンドキャリア構想でした。まず、気力のなくなってしまった状態では、頑張ることが出来ませんから、とにかく自分が好きなこと、やりたいことを模索しました。音響やCM音楽の製作など、音楽関係の仕事は嫌でした。1番好きなことに囲まれて、やりたいことの出来ない環境というのは、そのときは苦しすぎると感じたからです。結果、整体・カイロプラクティックという職業に進むことに決め、学校に通い直して社会復帰に至りました。

 


 整体師として独立を夢見て働いていた数年間は、仕事もやりがいがあり、新たな趣味としてサーフィンを始めたりもしてとても充実しました。当時、上司だったサーファーに勧められ、スケートボードも始めました。30歳を過ぎてからですから、だいぶ遅いですが、好奇心、向上心に溢れ、青春がまた来た!!という感じで、夢中になりました。近隣にスケートボードの施設を見つけ、通い、スケボーの板は増える一方、雑誌を読んだり、DVDを観たりして歴史も学びました。

 


 バンド活動に絶望していた私は今度はサーフィン、スケボーにのめり込んで行き、整体師として独立の夢も、好きな音楽をかけて仕事をし、空き時間にサーフィン、スケボーをしたいという一心からでした。

 


 ところが、独立し、大手資本のようにはうまくいかないことを思い知ることになります。わずか1年で整体院を撤退し地元に戻りました。整体師として突き詰めてきた自分に残されたモチベーションは、整形外科、医療分野の勉強をすることくらいでした。整体師は国家資格ではなく、整形外科に就職するのは通常は不可能なので、電話帳イエローページを開いて仕事の空きがないか、ダメ元で片っ端から電話しました。

 


 そうして得た整形外科の仕事で、午前と午後の診療の間、3時間の休憩にスケートボードをする自由を手に入れたものの、理不尽な虐め、パワハラに遭い、結局、2年で退職、改めて国家資格を取るために夜学に通うことになりました。資格の種類で差別などされたくないという想いと、保険治療が出来れば患者様の負担が楽になる、また、骨折や脱臼も治してあげられるようになりたい、という夢を抱き頑張りました。

 


 そうこうしている内に30代後半になり、就職の年齢制限に引っかかるようになりました。書類審査で弾かれて、面接さえしてもらえません。治療家専門の転職サイトを見つけ、後押しを受けて転職しました。

 


 40歳を過ぎるころには、雇用者と年齢が同じだったり、職場を転々としてきたことで、スキルやキャリアがそこの院長を上まってしまったりと、やはりなにかと対人関係で齟齬が生じ、コミュニケーションがうまくいきませんでした。例外的に開き直って居座ってしまった高齢の初心者整体師の方もいましたが、一般的なメンタリティーではなかなかしんどいと思います。

 


 とにかくサーフィンさえ出来ればがんばれる、ということで、妻に相談し、再出発を機に神奈川に移住しました。幸い妻も以前から海と鎌倉が好きだったので賛成してもらえました。その後、辻堂で独立するまでもいろいろありましたが、今回の趣旨とは関係ないので、その経緯はまたの回に譲りたいと思います。

 


 おかげ様で、10年に渡り念願の、昼休みにサーフィンをしながら働く生活を手に入れました。波のない日は近くのスケートパークでスケボーです。ところが、

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最も楽に持久力をつける方法。

 私は面倒くさがりで、筋トレも基本的に3ヶ月坊主の人間です。職業が柔道整復師で、運動指導をする立場でもあるため、自分自身が面倒にならず継続できる運動を常に試行錯誤しています。最近では、一定のペースにこだわらず、走ったり歩いたりする「時間走」を試していました。時間走は筋力を鍛えることにつながりますので、ダンベルを用いた筋トレと合わせて、アフターバーンを期待したメニューです。アフターバーンというのは、運動が終わった後も、筋肉の回復・修復のために一定時間カロリー消費が続き、脂肪を燃焼し続ける現象のことです。

 

 筋トレに関しては、以前は50kgのバーベルで、ベンチプレスとスクワットを行っておりましたが、セッティングが面倒で滅多にやらない状態に陥ったので、左右15kg、30kgのダンベルにし、ダンベルフライとレッグランジに切り替えることで解消しました。ベンチやラックのセッティングの手間がないので、変更してから2年経ちますが毎日続いています。

 

 先日サッカーボールを蹴りたくなり、公園でリフティングをしたところ、3分で息切れ、肩で息をするような状態になり愕然としました。そのときもビールとウイスキーを呑んで、お腹いっぱいラーメンを食べた直後なので当たり前といえば当たり前なのですが。。息切れハアハア腹が苦しい、ただひたすら自己嫌悪です。なんだこの体は、いい加減持久力を鍛え直さないと…、と。


 私はジョギング程度、クルージング程度の有酸素運動は大好きなのですが、しんどいランニングを長時間続けるのは好きではありません。しかし心拍数上げてしんどいところまで追い込まなければ持久力、最大酸素摂取量は上がらないのです。なにか楽して効果を上げる方法はないでしょうか。楽で継続しやすいやり方です。

 

 結論を言ってしまえば、あれこれぐたぐた考えないで曜日を決めて嫌々でもペース走をすることです。あれこれ悩んでる時間があるなら走りながら考えよう、と考えます。答えが見つからなくても持久力がついてそれが答えになってしまうのです。おっかなびっくりならおっかなびっくりのまま、苦しかったらやだな、しんどいの続けるのやだな、などと、雑念を抱えながら無心で走ればいいのです。瞑想みたいなものでしょうか。雑念にいちいち反応しないで流れるままに任せ、その間ずっと走っています。いずれ持久力がつき、苦も無く走れるようになります。

 

 治療の現場の目線で話しをしますと、高齢者の膝や腰の痛みは、ほぼ筋力の弱化が原因で起こっています。つまり鍛えれば治るものなのですが、痛みに対する不安や恐怖心でリハビリはなかなか進みません。ところがある日、ある膝痛の高齢者の患者様が、「友達に誘われてフルマラソンの大会に出ることになった。」と言って走り始めたところ、

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「愛情のこもっていない料理はエサである。」(土井勝)

 私はギターの弾き語りをやっております。今回は私個人のライブパフォーマンスの悩みを考察してみたいと思います。読んでくれたみなさんにも何かのヒントになればと思います。


 ライブハウス界隈、パフォーマンス界隈というのは、インパクト勝負のところもあり、強烈なインパクトを与える派手なパフォーマンスが多く見られます。私もバンドでのライブの時は仲間と楽しくなんの迷いもなく大騒ぎしているのですが、弾き語りとなると少し違って来ます。


 私が弾き語りで表現したいのは、昭和の時代の風情です。風情というのは、季節の移り変わりのような「機微」のことです。激しくあってはもはやそれは機微ではなく、風情ではないのです。タイトルに料理研究家土井勝先生の「愛情のこもっていない料理はエサである。」という金言を使わせていただきました。近年は「激辛」「濃厚」、あるいは「〇〇産△△使用」など、インパクト勝負の商品が人気です。しかし、土井勝先生にとっては、食べる人の体調や気持ちを思いやって作るものこそが料理であって、そうでない大量生産の食事は「エサ」でしかないわけです。


 土井勝先生のご子息の土井善晴先生も著書『一汁一菜でよいと至るまで』の中で、「強い刺激は感性を奪います。」と述べています。風情の機微を感じ取るのはまさに感性のわけで、つまり強い刺激というのは、私が大切に考え、表現して伝えたいと思っている「風情」を台無しにしてしまうのです。


 戦後の日本は、GHQの指導を受け、独立国家といえども政治経済、文化ともにアメリカの影響を強く受けています。横文字言葉もずいぶんと増えましたが、日本語の使い方もアメリカナイズされ、強調として使う言葉が増えました。超、ヤバい、激、鬼、神、等等。。


 日本語というと、ひとつの意味合いにニュアンスの違った表現がたくさんある情緒的な言語のイメージです。例えば、「柔らかい」は、「たおやか」「しなやか」「おだやか」、といった具合です。美味しさの表現も、甘辛い、甘酸っぱい、旨みがある、歯応えがいい、舌触りがいい、後味がいい、風味がいい、と多彩ですが、激うま、ヤバイ、あるいは、激ヤバ、など強調語を組み合わせる表現が増えました。烈火の如くでも怒髪天でもなく、激おこと言うそうです。


 強さの度合いの表現一辺倒になると、微妙な違いは失われてしまいます。つまり、機微を表現出来なくなります。「雪解けの水 激ヤバし」「蝉の鳴く声 激ヤバし」ではいくら季語が入っていても俳句になりませんね。感動したことは全部「ヤバい」わけですから。片思いだった彼に初めて電話をかけてヤバい、、初めてのデートで手を繋いでヤバい、初めてのキスでヤバい、海岸線をドライブしても、他に好きな人が出来ても、やっぱり彼のことが好きなんだと気づいたとしてもヤバいわけです。


 人目を惹くためには強調というのは大事な要素です。強調するために、大きな声を張り上げたり、赤や黄色など派手な色を用いたりします。大きな車だったり、ジャンボ餃子だったり、激辛ラーメンだったり、あるいは〇〇産△△を用いたフレンチデザートだったりです。テレビを点けると、若手芸人とモデルタレントが大声でやりあっていて、言葉がテロップで強調されています。


 土井善晴先生の「強い刺激は感性を奪う」という言葉に戻ると、今の日本は強いアピールをした者勝ちの、感性を奪う社会、風情を理解し得ない社会になってしまったように思えます。音楽も「愛」「ありがとう」を連呼するような歌詞が増えました。愛や感謝の印象を受け手が感じるように、直接的に「愛」や「ありがとう」というワードを使わずに叙情詩や叙事詩で表現するのが作家です。直接の方が強いアピールになるのでしょうけれど、表現の豊かさ、深さという面では残念に思います。


 自分の、あるいは商品のアピールというのはまさに「エサ」を撒いてるわけですよね。受け手としてはエサに食いついて満足している。土井勝先生の言葉に例えるならば、私は料理を提供したいのであって、

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