遠藤捨三の世界

こちらは、空き地の詩人・遠藤捨三の愛好家(好事家)のための会員制ブログです。

長いお別れ。

 吐き出すために書くにも長くなりそうなので、こちらに書かせて下さい。読むに値する文章には体裁を繕いたいと思います。

 


 昨日、本業の整骨院の患者さん、私の二つ下で、古巣からずっと指名で通ってくれてた、まあ、10年来の友達ですが、亡くなりました。膵臓癌だったそうです。三日前に、奥さんが代わりに投稿した誕生日のSNSで知って、次の日にお見舞いに行きました。めっちゃくちゃうれしい、とか言ってもらって、こっちが救われました。すいません、隠してて、、家族にも言わなかったんすよって言うから、かっこいいじゃん、ってぽんぽんしたら、へへへって笑ってました。

 

 

 

 患者さん、って言っても、週一とか、調子悪いときは週三日とかで顔を合わせるわけですからね、彼は30分、40分のコース、当たり前ですが一対一のコミュニケーションですから、プライベートの友達より長い時間過ごしてるかもしれません。12年くらいの付き合いになります。根がクソ真面目でストイックなのと、くだらない冗談ばかり言って憎たらしいところがお互いよく似てて、気が合いました。ガタイがよくてマッサージがたいへんなので、スタッフがたらい回しにするのを見かねて、私が担当することにしました。おまえ帰れって言ったらホントに帰っちゃうんすよ、という会社の若いこの愚痴から、ベイスターズサッカー日本代表の話し、子どもや少年野球団の話し、縄跳びいいんすよとかトレーニングの話し、ハイエース買ってすげえいいんすよ、とかたくさんの話しをしました。

 

 

 

 誰もがいつか死んでいくのですし、誰もが家族や友人を失っていくのですが、やっぱりやり切れませんね。これから先は、これを読んでくださっているみなさんに、ただ自分が抱え切れないだけでなく、何か役に立つように書きたいと思います。

 

 

 

 悲しくていいんだと思いました。受け止め切れそうに有りませんが、現実を受け止めることが大事なのではないかと。。実際、受け止め切れませんが、受け止めようとすることが大事なのではないかと思います。悲しくて寂しくていいんだと思いました。泣いてはだめだとも、本人の前で悲しい顔をしてはだめだとも思いません。いろんなこと思い出して、ありがとねって感謝をして、そのままでいいんだと思います。ありがとねって気持ちは自然に出てくるので、感謝しなきゃいけないとか、気の利いた言葉をかけなくてはとかそういうこともなく、ただあるがままで、ただ会いに行って、それでよかったんだと思います。

 

 

 

 49歳。早いとは思いますが、80歳だろうが100歳だろうが最期はやっぱり寂しいでしょう。必ず終わりはやって来ます。それがいくつでもみんな同じ。今回、私は、彼はこの世という学舎を、晴れて卒業したのだと思うことにしました。学びを終えて先に卒業しただけ。そのうち私も、出来が悪くて遅れてはいますがいつか卒業して、未知のステージに合流することでしょう。近年、量子物理学の世界では、パラレルワールドが存在するとか、目に見えないブラックマターの方が実は重量が多いのだとか、ブラックホールの淵に世界すべてが二限情報として存在するとか、様々な神秘的としか思えないことが証明されて来ています。生きている私たちには、この現実以外のことはなにも分かりません。しかし、どうやら私たちの想像を超えた形で、なにかが存在し続けるようですし、私たちにとっての想いとか感動、モラル、志しというものも決して無駄でも無意味でもなく、存在し、影響し合っていくように思います。世界がひとつなのか、なぜ無からこんなに多様な世界が生まれるのか私には全く分かりません。死んだら体験出来るのでしょうか。意識とか自我はどこまであるのでしょうか。私たちはみんな、意識も自我もないまま生まれたのかな。忘れてしまいましたね。

ということで、橋本さん、お疲れ様でした。楽しい時間たくさんありがとうね。また。