遠藤捨三の世界

こちらは、空き地の詩人・遠藤捨三の愛好家(好事家)のための会員制ブログです。

モラルハラスメント ~ 自分と向き合えない人からの八つ当たり、鬱憤晴らし ~

 人間はみな不安を持っています。生活の不安、人間関係の不安、将来の不安、老後の不安、突き詰めると最終的には死の存在に行き当たります。死は揺るぎない確定項です。死への不安はなくなることはありません。免れ得ぬ死に対する不安とどう向き合っていくか、限りある人生でどのような選択をしていくのか、それこそがまさに人それぞれの「生き方」です。選択の責任を負えない人、覚悟の出来ない人は、いつまでも不安に振り回され続けます。耐え難く膨れ上がった不安から束の間逃れるために、他者を攻撃するようになります。自分で何かを選択し、経験を積んで自尊心を高める代わりに、自分に危害を加える心配のない存在にマウンティングをし、支配感を得ることで自尊心を守るようになります。それがモラルハラスメントです。

 

 

 責任を負えない人は自尊心を守るために常にスケープゴート(犠牲)を必要とします。自分自身の不安と向き合う代わりに、他者の心を支配することで、優越感を得、安心を得るという、すり替えをせずにいられないのです。そのようなすり替えは本人が自覚しないまま習慣化し、自己欺瞞に陥ります。パワハラモラハラも根っこは同じです。自分の責任から逃れるために、立場の弱いものに押し付ける行為です。

 

 

 私の父は教師であったこともあり、何かあると私を否定し、皮肉を言って来ました。一番厭だったのは、ほんの些細な失敗や、父の価値観にそぐわない行動に対して、「常識がない」「社会人になったらもっと」などと人格否定をされることでした。具体的には、お風呂の入浴剤の袋を捨て忘れた、とか、食事の後一休みしてから皿洗いをしようと想っていたら先に父に洗い物をされてしまった(自分で使ったものは自分で洗えという方針です)、などです。また、父は運動が苦手だったせいか、私がサッカー少年団に入る時も、やめたほうがいいと抑止したり、筋トレをしていると「またそんなことやってるのか」と皮肉を言ったりして来ました。親戚に頂いたお年玉でトレーニングの器具を買おうとしても許可されず、無断で購入した通販の商品は見つかると強制的に返品されました。エレキギターを買おうとした時も頑として反対され続け、たまたまそれを耳にした叔父がたしなめてくれて、半年後にようやく購入することが出来ました。フリーマーケットで買ってきたお気に入りの中古のブーツが見つからず探していたら「汚いから捨てた」と言われたこともあります。バンドのメンバー募集を雑誌に投稿し、それを見て応募してくれた人の手紙が届いた時も、アピールにカラフルな絵を描いてくれていましたが、「おい!キチガイから手紙が来たぞ!!」「その雑誌見せろ!!」と烈火の如く叱責され、気分が萎えてしまいました。

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